きむら あつこ(木村 篤子)
大阪市生まれ、北海道北広島市在住。道内外の民間研究機関を経てライターに。ジャズヴォーカリストとして活動するほか、地域の同好会「北広島ジャズ倶楽部」運営に取り組む。
ドライブしながら、どんな音楽を聴いてらっしゃいますか?
私の場合は、やはり、ジャズです。
そう、私がジャズヴォーカルを始めたのは大学一年生の冬。学内の軽音楽部の練習を見学して上級生たちの演奏にノックアウトされました。特に、すでに地元神戸のジャズスポットでも活躍されていた四年生の女性ヴォーカル、Iさんのたたみかけるような独特のノリと洗練された英詞の歌唱に魅せられ、即決、入部(笑)。
その後、Iさんが惜しみなくお薦め名盤を貸してくれたおかげで、私はエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレー、アニタ・オディなど幾多のレジェンドの名演をごく短期間に浴びるように聴くことができました。そして心酔。
これが私のジャズヴォーカルの道が「拓かれた」懐かしき思い出です。
その後、社会人になって、関西から夫の出身地である北海道に移り住んだのは1991年。親戚はいるけれど友人は一人もいないこの地で私がすがったのも、やはりジャズ縁。ミニコミ紙で知った江別のジャズ同好会に通い、多くの友に恵まれました。
しかし、間もなく会社員としての仕事が超多忙となり、その後長い間、ジャズは専ら通勤のイヤホンの奥にとどまることになります。疲れた心身に語りかけてくれるダイ アン・リーヴスや伊藤君子の歌声。そこからどれほどの温かな癒やしと励ましを得たことか。歌の、音楽の力の大きさを思い知ったのは、むしろリスナーに徹したこのころでした。
月日は流れて2009年、私は会社を退職し、それまでのキャリアも生かしてライターの仕事を始めました。時間の融通のきくフリーランス生活で復活したのは、もちろん、ジャズヴォーカル!
実家のある神戸でも教えておられる伊藤君子先生のレッスンに通い始め、その数年後から少しずつ札幌や関西でライブ活動を開始しました。
そして2020年、コロナ禍で世の中がこれまでにない閉塞感に包まれたなか、私は「死ぬまでにどうしてもやっておきたいこと」の一項目の実現を決意します。それはリーダーアルバム(CD)をつくること。札幌の第一線で活躍するミュージシャンたちのサポートを得て、同年十二月、ファーストアルバム『My Path of Dreams』をリリース。
学生時代から細い小道(Path)を歩いてきて、こんなところまで来たよ、という一つの里程標のつもりで制作しました。ジャケットに使わせてもらったのは、まさに「小道」(礼文島の画像:冨田真未さん撮影)です。
「拓く」とは、何もなかったところから歩み始めることであるとすれば、ささやかながら、私も憧れに浮かされて自分なりのジャズヴォーカルを拓いてきた、と言えなくもありません。
今年二月末、二枚目のアルバム『Easy to Remember』をリリースしました。全国有数の札幌のジャズシーンの豊かさ、懐の深さにも感謝しつつ、ひそかに手応えを感じているところです。
ドライブのお供に、北海道発のジャズはいかがですか?